たった一度だけ、私にも近親相姦の経験があります。それが実の母との過ちでした。私は三兄弟の末っ子で、そのせいか上の二人にくらべて母には可愛がられて育ちました。世間的にはお母さん子だったでしょう。兄たちに比べると物事に消極的で、奥手な性格も母の母性本能を刺激したのかもしれません。
なにかと気に掛けてくれる母を私も頼りにして、甘えもしました。幼少期から、おぼろげに母を身近な異性として憧れていたところもあったと思います。
まだ小さな頃は母と結婚すると臆することなく言ったものでした。中学を卒業後、私は板前になるために隣県の有名な料亭に就職しました。もとが奥手で小心な性格ですから、見習い修行の辛さはこたえました。
怒鳴られ叱られるばかりの日々に耐えかね、半年もしないうちに母の元に逃げ帰ったことがありました。しかし、母は家には入れませんでした。父に知られたら怒られると駅前の旅館に私を連れていき、職場に戻るよう言いました。
「もう遅いから、明日の始発で戻りなさい。母さんからも連絡しておくから」優しく叱りつけるような目に、私は悲しくて悲しくて、目頭が熱くなりました。母なら無条件でこの辛さを受け止めてくれるはずだという甘えを抱いていた私は、絶望しました。
親なら当然のことなのですが、まだ精神的にも未熟だった私は、母の親心がわからず、ただ絶望するだけでした。そんな私を、母は優しく抱きしめてくれました。暖かくて柔らかい胸が私を包みこみました。
母に抱かれたことなど幼少期の頃以来だったので戸惑いを感じましたが、その柔らかな胸に身を任せていると、なんともいえない幸福感と同時に、忘れかけていた遠い思い出がやけに馳めかしく脳裏に蘇ってくるのでした。
子供の頃、寝入った母の白い寝顔を眺めて、妙な気持ちになったことが何度もありました。母の寝顔は幼かった私の目にも美しく映りました。長いまつげにすっきり通った形良い鼻筋。桜色の唇から白い前歯をのぞかせている光景は、無防備な寝顔ともあいまって悪戯心をくすぐりました。
唇を指でもてあそび、頼や鼻先をつんつんとつついているうちに、幼いながらに甘い体の疼きにとらわれ、その意味さえわからず、私はパジャマのなかでペニスをエレクトさせました。それから何度か、母が寝入った後、思い出したように寝顔を悪戯をしました。
唇にキスをしたり、
母は美しく、素敵な女性でした。怒るときも甘く囁くような声で私を見つめ、絶対に叩いたりはしませんでした。学校の先生のように、こんこんと論す声の柔らかなトーンが、私の胸をくすぐったものでした。
あの忘れかけていた幼い頃の小さな悪戯が、母の豊かな胸に顔を埋めていると、少年に成長していた私の体に生々しい火照りとなって蘇ってくるのでした。私は無意識のうちに母の胸をまさぐり、セーターの上から赤ん坊が欲しがる突起を探して口を押し付けました。
母の息遣いがしだいに苦しげにかすれ、胸の鼓動の高まりが私の体にまで伝わってきました。柔らかな胸が、深く波打ち、「だめよ・・・」という上擦った声が頭上で聞こえました。
しかし、胸をまさぐる私を止めようとはせず、まるでそれが母の義務だというかのように、私の悪戯を許し、息を震わせてわなないていたのでした。私はこみ上げる感情を押さえられず、セーターをたくしあげて大きな乳房を掴みだしてしまいました。
母は消え入りそうな声で「だめ・・・」と言いましたが、自い瞼を閉じ、何か私は無抵抗で体を差し出す母を無我夢中で揺さぶりました。SEXの経験もなかった私です。ペニスが抜け落ちそうになったり、ただ興奮のままに腰を動かし、まともにピストンも刻めずに、白い裸体を揺らめかせるだけでしたが、母はただひたすら、そんな息子の前で体を投げ出していました。
禁断の契りを結んだ後、生理の後だったのか、母の恥部からピンク色の体液が流れていました。険を閉じるたび、その鮮烈な色が蘇ってきます。「これで気持ちがすっきりしたでしょ。さあお店に戻るのよ、いいわね?」そんな母の論す声に領き返すしかありませんでした。あの一夜がなかったら、いまの私はなかったはずです。人生で度きりの相姦体験でした。